THE STARTING POINT IN A CAMP
「お兄ちゃん達、今晩泊まるんけ?
死ぬど、しばれっから暖かくしろよ!!」
村役場前にいたじっちゃんから言われました。。
昭和60年11月22〜23日。
30年以上前。
長野県にあった
某アウトドア雑誌が発信したキャンプ場。
村役場の窓口が受付。
1日村民になり利用するというシステム。
ゆるい決まり事しか無かった。
勿論管理人もいない。
夜の宴会も終わり、
集めた薪も明日の分を残して心細くなってきたのでほんじゃ寝よかと、、、。
じっちゃんが言ってた意味がだんだんと実感。
寒くて寒くて寝られなかった。
標高1,000mの雪山。
若気の勢いで完全にナメてた。
それでもお酒の酔いでウツラウツラしてたらテントの外から変な音がする。
ヨッパもあり熊だと思って
目つぶってシュラフにもぐりテントの中で寝た振り。
熊が見てないのに寝たふりしてどうする!!って話しだけど。
じっちゃんが死ぬど!!って言ってたよなと。
外は異様な静寂。
弱気な自分、違った方向に進みはじめ、
寝たふりしながら涙目。
まだいろいろやりたかったのにと。
そのうち素直に寝ちまって爆睡。
そしたら当然朝がきて。
マタギじゃないからケモノの殺気がわからない。
でも異様に静まり返ってる。
周りのケモノを追い払うために
意味なく威圧的に無駄な大声を出してテントを開け始めた記憶。
たぶん熊がいたら戦うつもりだったのかも。
手にはペグハンマー。
ゴム製だったけど。。
若いって素晴らしい。
そしてゆっくりと外に出たら、
いちめん銀世界。。。
あの変な音は雪がテントから滑り落ちる音だったと判明。
どおりで異様に静まり返ってた訳。
小僧のヨッパ笑える。
でもこの時の感動、
30年以上たった今でも記憶に濃い。
あの感動。
心も汚れてる今はもう
味わえないんだろうなとちょっとセンチ。
砂防もあって、
真ん中をせせらぎが流れてて
最高のロケーション。
こんな素晴らしいキャンプ場、
以来出会っていない。
懐かしいロッジテント。
ドームテントなんて無い。
ロッジか参天。
当時キャンプはまったくメジャーではなく
アウトドアショップなんてもの無い。
コールマンだってモロ輸入モノ。
いつも新宿の登山専門店にいってた。
千曲川河川って写真に書いてあった。
タープなんて気の利いたものはほとんど無いからブルーシート。
雨の日は両脇四駆車でのブルーシート屋根必須で
センターポールは現地で拾う材木。
奥の俺の参天、今どこにあるか不明。
5合目まで四駆でいけた富士山の登山道。
廃山小屋というか飯場跡だと思う。
フレンドリーな外人グループと遭遇。
彼らのノリの良さは今でも覚えてる。
僕のダッツンに乗って手を広げてるボマージャック来てる外人。
ドゥービーのパトリック・シモンズにすごく似てた。
ひょっとしたらマジそうだったんじゃないかと
今でも思ってる。。
お忍びで日本に来てたのじゃないかと。
うん、そういう事にしよう。
思い出だから。。
でもたぶん軍人さん。
お互い言葉通じないのにこの後みんなでコーヒーブレーク。
真ん中の黒MAが自分。
身長180ぐらいある僕より左の2人は高く、
改めて外人でっけぇ〜っと、素直に負けたのを覚えてる。
目前に見たタトゥー。
無駄に焦ってすかさず敬語を使った。
通じてないのに。
四駆とバイク。
それとバックカントリーに憧れていた若い頃。
この頃から大型犬も頭にあったな。
毛の長い茶色や白色のでっかいワンコ。
、、いまいるね。。
若い頃は痛い思いもかなりしたけど。。
結局素晴らしいキャンプ場。
その後のアウトドアブーム。
一時はネコも杓子もアウトドア。
鍵をかけるなんてことをしない
田舎の静かな町に都会が入り込んでしまった。
極端にモラルの無い人が増えて、
村人達の蓄えている薪を盗んだり、畑の野菜を盗ったり。。
途中のゴミの投げ捨ては勿論で、それはもう大変だったらしいです。
地元とトラブルが絶えなくなり閉鎖。
その流れというか血をひいてるのが今あるビーブリッジだと思う。
昨今のようにアウトドアというスタイルが
出来上がって無い時代。
キャンプやるのは山登りの人とボーイスカウト、
あと僕たちみたいな生粋の変態しかやってなかった。
仲間でやるグルキャンは楽しいし、
高規格の至れり尽くせりや
ドッグフリーサイトのキャンプ場もそれはそれで楽しい。
でもたとえオンリードでも
こじんまり、我が子とだけで行く、
あまり周りにキャンパーがいない場所でのキャンプはすごく濃い。
我が子がそばにいて、
ちょっと強いお酒を飲みながら
焚き火を眺める。
ゆるく音楽がある。
星もたくさんある。
今年はちょっとそんな気分。